江戸風鈴のこと
江戸風鈴とは

江戸風鈴は江戸時代から伝わる技術を受け継いで制作しているガラス製の風鈴です。


型を使わずに宙吹きで作られ、絵は全て職人の手によって一つ一つ彩色されています。柄も明るい夏にぴったりの金魚や花火、可愛いじんべえ鮫や招き猫など多くの種類のものがあり,一つ一つ縁起の良い意味があります。


篠原まるよし風鈴で主に製作している短冊のデザインは上が朱色、下が緑の「天地ぼかし」になっており、太陽の恵みと地上の生命の繁栄を表しています。
江戸風鈴ができるまで
江戸風鈴は一つ一つ職人が製作しています。最初に風鈴の玉から作るガラス吹き、ガラスの玉ができたら一つ一つ風鈴の内側から絵を描いていきます。風鈴のガラス吹きは良い音のものができるまで10年かかると言われ、とても難しい技術です。絵付けは内側から描くため、最初は思うように描くことができずこちらも最低3年程度修行が必要な技術です。

風鈴は庶民的なガラス工芸ですが、熟練の職人の技術によって作られているのです。
ガラス吹き
1300℃で溶けたガラスを小さく巻き取る。これが風鈴の鳴り口部分となり、口玉と言います。
500円玉くらいの大きさに口玉を膨らます。厚みを均等にできるように気をつけます。
口玉の上にもう一度ガラスを巻き取ります。これが風鈴本体になります。
少し空気を入れて中心に針金を通して穴をあけます。これは糸を通すための穴となります。
風鈴が曲がらないようにしながら、一気に息を入れて本体を膨らまします。これで風鈴の原型はできました。
風鈴を冷ましてから、最初に吹いた口玉の部分を砥石で削ります。これが鳴り口のギザギザとなります!
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絵付け
絵を描くのに必要な、油性の顔料、水性の絵の具、筆を用意します。
気持ちを込めながら、最初に水性の絵の具で金魚の目や模様を丁寧に書いていきます。
次に油性の顔料でこの金魚の体の色を塗っていきます。最初に赤で体の上部を塗り、お腹を白で塗ります。
金魚の体を塗り終えたら、一番の見せ所である尾びれを勢いよく書いていき、胸ビレを描きます。
次に水引きという金魚の泳いでいる水を表すグラデーションの線をいれます。
最後に水草を描き金魚の住む環境を整えます。これで金魚の絵柄の完成です!
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江戸風鈴の歴史
江戸風鈴の誕生
江戸風鈴の名称はその道の第一人者・篠原儀治(しのはら よしはる)がひとつひとつ宙吹きで作られたガラスの風鈴を”江戸風鈴”と命名しました。江戸時代の末期から庶民に知られるようになったガラスの風鈴、それ以前は、庶民が手の届かない程高価なものでした。
大名や豪商たちの中で珍品として崇め奉られ、”風琴”と呼ばれお屋敷の部屋の中に下げられていました。風の琴なんて、名前も上品でした。


現代のように、クーラーや扇風機などがない時にどうやって、暑い夏を楽しく過ごそう?・・・創意・工夫で色々なものを 作り出しました。その中に自然の風を利用した”江戸風鈴”が生まれるのです。


大昔は、自分の心を占うために、中国より伝来の宝石と宝石をぶつけて、その音色で吉凶を占う”占風鐸”を考慮したものでしたが、だんだん変化して行き、まったく四季に関係の無い物が夏の風物詩として頭角をあらわします。透明なガラスを使用した風鈴の輝きやここちよい音色に庶民は心を奪われていったのです。

『売り声もなくて買い手の数あるは、音にしられる風鈴の徳』

この狂歌は、江戸時代の末期に風鈴売りの様子を詠んだものです。 この時代の物売りには珍しく、風鈴がそよ風を受けて軽やかな音を 響かせるので、始終売り声をあげることが無かったといわれています。

魔除けとしての風鈴
日本人は、音に対する信仰がつよく「鈴」を魔除けにしているのは有名です。 また、昔から朱色(あか)を魔除けにしており1970年代まで朱色の風鈴が 過半数をしめていました。ガラス風鈴は”赤”があたりまえだったのです。 (この頃売られていた風鈴に「朱色は、魔除け」と表示はしてないので、 魔除けを意識して買われたのか不明です。)

江戸風鈴は、昔から人々の心を癒す役目をしていたのです。